日本の行方
2010-06-06 23:07:27 0 Comments
6月早々、民主党が政権を取って初代の総理となった鳩山総理大臣が突如として辞任し国民を驚かせました。
止めろコールの最中ではありましたが、もう少し、忍耐があっても良かったのではと、思います。
総理の座を党内で順番に回して遊んでいるのではないかと、自民党時代から、不愉快に思っていましたが、民主党もやはり同じことをするつもりなのでしょうか?
小沢幹事長も、自分の意見と違うからと圧力を蔭からかけるくらいなら、堂々と、自分が最初から総理になっていれば良かったのではないでしょうか。
それができない理由があったのでしょうから、それなりに、党全体が、そして、日本の国家全体が、良くなる方向の指針をもっと明確に示して、後進の指導にあたれば、長い目で
歴史に残る偉業を成し遂げられたことでしょうが、イメージとしては、本当に闇から手が伸びてくるようなダークなイメージが優先してしまいました。
決してそうではなく、もっとちゃんとした理由があり、国家の先行きを見定め、外交についての重要なポイントもしっかりと押さえている筈の人なのです。
しかしながら、口数が少なく、なかなかその意をしっかりと間違いなく把握するのには、経験と学識の違いの大きい現代の人には、困難だっただろうと、私は思いました。
民主党の箱舟が、常に右に左にと揺れ、中心軸を取れなかったのは、多くの人の意見を大事にしすぎたからではないかと思う。
自分の信念と展望をしっかりと持ったうえで、周辺に耳を傾け、国の方向を決めて行かなければ、常に他人の意見に左右され、何時まで経っても、一つの目標が定まらなくなるのだろうと思う。
政治家にとって国民が期待するのは、自分たちの生活の安定が一番であろうと思う。
しかし、国家の安泰は、国民の甘い要求だけを実行していたら、破産してしまうこともあり、国民の希望に沿わないことも、実行していかなければならないことも、又必然である。
その様なときは、しっかりとした予算を建てたうえで、国民に納得はいかなくても、理解できるだけの資料を整え、補償をどのように果たしていくかという点で時間をかけて説明
することは、最低限果たす必要がある。
しかしながら、普天間問題も、徳之島の問題も、自民党時代から20年以上の歳月をかけて周到に計画され、その枠に沿った政策を積み重ね、今まさに実現させようとした矢先に、天が待ったをかけたのだった。
それは、一番に、徳之島の案件での準備不足にあった。
米国と日本は、沖縄の次に、徳之島全島基地化を、秘密裏に約束していたはずである。
しかし、島民は、一部利用も了承しなかった。
一部など必要ないと米国は、これまた、撥ね退けた、その様な図が展開されていたのではないだろうか。
民主党では、何もできなかったとがっかりして、国民が自民党に走ったならば、着々と米国との秘密の案件が実行されていくのは、明らかであろう。
基地問題は、基地移設問題ではなく、敗戦国日本の位置づけが、この後、永遠と続くということにほかならないということである。
今、民主党は、日本が独立した国家としての形を明確にするという大きな命題を実行するだけでも、未来の子供たちに先を生きた者たちの後悔を引き継がせないという意味で、偉大な仕事を成し遂げたということになるだろうと考えている。
日本は、自国の安全を米国にゆだねるということについて、疑問を持たなければいけないと思います。
自国の国民の安全は、やはり、国家として守るということは基本であり、戦後処理の一部として、米国によって作成された憲法は、我が国民から武器を取り上げながらも、米国からは、日本に武器を持ち込むことを認めさせるというのは、何か矛盾していないだろうかと、私は、疑問に感じるのだが、それは、間違っていると言えるでしょうか。
しかも、米国に守ってもらうための代償は、そんなに安価なものでもない。
莫大な数字の補償をしなければならないのだから、決して、日本は、平和憲法を順守しているとは言えないのだと思う。
そうした観点から、日本に、米国の基地を点在させるような政策を何時までも継続しては、いけないことだと思うのです。
そろそろ、仮想敵国の発想を止めなければ、地球を破壊するようなことに人類は遭遇することになるであろう。
鳩山元総理が「友愛」という言葉を、民主党政治の主眼として置いたが、大きな視点では、間違いが無かったと思う。
人類は、そろそろ、地球全体を一つとして全世界規模での政策を考えて行かなければならない時代に入ったのだから、自国の利益だけを優先する国家政策をやる国は、自然に滅びる結果となっていくだろうと、考えている。
自然災害も、人的な突発的事故も、正しい道を選択する者には、訪れないようになっているように感じているのは、果たして、私だけだろうか。
そう感じている人は、増えつつあると、私は、思っているのだが。